薬学における微生物
生物薬学講座生体防御学分野 教授 大橋 綾子
微生物学という、ウイルス、細菌、真菌、原虫など小さな生き物について学ぶ講義で、私は薬学生に「微生物は、三つの側面から薬学的に大変重要です」
と紹介しています。
第一は、感染症をもたらす人類の「敵」としての微生物です。薬学の歴史は、抗生物質ペニシリンの発見に代表されるような、病原微生物と人類の戦いの歴史でもあります。よく効く抗生物質や抗ウイルス薬でも、一度耐性が出現すると、次世代の新薬開発が進み、新たな標的分子を持つ薬が登場します。薬学では、病原微生物の増殖や感染に加え、病原性出現や耐性獲得のメカニズムを学び、薬の作用を理解することが求められます。
次に、薬を生み出す「装置・道具」としての微生物です。様々な菌が医薬品のシード(種)となる二次代謝物を産生することは有名ですが、それ以外にも、遺伝子工学技術が利用できる細菌やウイルスは、「バイオ医薬品」の実用化に大きく貢献しています。数十年も前から、インスリンやインターフェロンのようなタンパク質製剤は、ヒトの遺伝子を大腸菌で発現するようデザインしてから導入し、生産されています。抗体医薬品も、抗体の遺伝子に人工的改良が加わったバイオ医薬品です。バイオ医薬品の先発品は、開発費が膨大なため極めて高価ですが、最近では「バイオシミラー」と称される後続品も登場するようになりました。
最後は、「共存者」としての微生物です。「あなたの体は9割が細菌 (原著では10% Human)」という本が数年前出版されましたが、人体に常在する微生物は細胞数にして数百兆と推定されています。例えば整腸薬としても使われるビフィズス菌は、腸内で我々に必要なビタミンの生成などを担っています。このような腸内細菌叢の善玉菌を増やす「プロバイオティクス」「プレバイオティクス」が注目される一方、先述の抗生物質(因みに英語では、アンチバイオティクスです)は、病原性細菌だけでなく、有用な腸内細菌まで排除してしまうことが問題となっています。また、多くの共生細菌が適度に免疫系を刺激するようですが、同じ常在菌でも定着組織によっては免疫応答を過剰に招き重篤な炎症を生じるなど、疾病との意外な関連も指摘されています。私たちの体を舞台に、まだ知らない微生物たちのドラマが展開しているようです。
最近、当分野の錦織助教は、盛岡で採取した線虫体内から新種の微胞子虫を発見しました。微胞子虫は、多くの動物を宿主とし、その細胞内に寄生する単細胞生物で、かつては原虫に分類されていましたが、今は真菌が特殊化したと考えられる新微生物です。古くはパスツールが絹産業に重要なカイコの病原体として指摘し、現在でも人畜共通感染症をもたらす微生物として注目されています。宿主の細胞と微生物たちはどのような対話をしているのでしょうか。謎の多い微生物に興味がつきません。